ニッチメディアビジネスのはじまり<br>【special】ファインドスターの軌跡 Vol.2

ニッチメディアビジネスのはじまり
【special】ファインドスターの軌跡 Vol.2

  • ファウンダー/株式会社ファインドスターグループ代表取締役

    内藤 真一郎

  • 代表取締役社長

    渡邊 敦彦

第二回 社名変更から同封広告事業・比較サイトの運営まで

 

-2000年12月に社名を株式会社ファインドスターに変更しましたが、その意図は?

内藤:変更の2年前に本社を港区から新宿区に引っ越したのですが、とたんにクレームの電話がかかってくるようになったんですよ。「どういう営業しているんだ!」みたいな(笑)。怒られる筋合いはないんだけどなぁと思って調べてみたら、同名でやんちゃな営業をしている会社があったんですね。「104」(電話番号案内サービス)で調べるとウチが案内されていたようでクレームの電話がかかってきていたと。

それとは別でも外国の方に「ずいぶんすごい社名ですね」と言われることがあって「なぜですか?」と聞いたら「アレスト」は「逮捕する」という意味だと(笑)。アから始まるから電話帳の上の方に出てくるだろうという安易な気持ちで名付けたのですが、この2つの理由で変えることにしました。

-「ファインドスター」という名前にした理由は?

内藤:当時いた社員と話し合って、ウチの会社が大事にしているのは何かと考えたときに、やはり人だなと。これは今でも変わらないですが、人が持つ潜在能力を見つけられる会社でありたいという思いがあった。そこで当時の社員が「ファインドスターというのはどうですか?」と提案してくれたんです。星を見つける、星はすなわち潜在能力です。スターという響きもいいなと思ったので「ファインドスター」と名付けることにしました。

-「起業家を輩出する」という現在のコンセプトにも通じるものがありますね。当時から現在の状態を目論んでいましたか?

内藤:確かに、今思うとつながるものはありますね。ただ、当時は今を生きるのに精一杯で会社をここまで大きくするような発想はなかったです。地道に大きくなればいいなと思うくらいでした。

-社名を変更されたころの主な事業は何でしたか?

内藤:Web制作が9割、残り1割がラインチェンジャーですね。ただ、その後Web制作の方がいろいろあって儲からなくなってきた。そこで、取引先のとある会員制Webサービスの会社に「何か仕事はないですか?」と相談したところ「内藤君、ウチはクレジットカード会社が発行する請求書にチラシを入れて会員を集めているんだけど、どこかクレジットカード会社に知り合いはいない?」と聞かれて。「そんな知り合いはいないなぁ」と思いつつ「分かりました。もしいたら」という感じでスルーしていたんです。そしたら、その1週間後に広告代理店で働いている友人から「内藤、ウチのお客さんのクレジットカード会社が毎月発行してる100万部の請求書にチラシを入れてくれる会社はないかって聞かれてるんだけど、どこか知らない?」と。

すごい偶然じゃないですか? もちろんすぐにその話を持っていきましたし、簡単に話がまとまるわけです。そりゃそうですよね、クレジットカードの請求書にチラシを入れたいと言った1週間後に話がくるわけですから。すごく喜ばれて年間契約をしたいという申し出もいただいて。これがきっかけで同封広告の広告代理業を始めたんです。

-お宝発見ですね。

内藤:当時は「きたー!」と思いましたね。同封広告は売り上げ2億くらいから5年で一気に20億に増え、事業の柱になりました。この同封広告を含め、マスメディアではないものをわれわれはニッチメディアと呼んでいて、この分野で覇権を取ればいけるぞという手応えがありました。

-2000年代は同封広告に続き、次々と新しい事業を始めていますね。沿革を見ると2005年に「広告・マーケティング関連会社の比較・紹介サイトの企画・運営サービスを開始」とあります。これはどういう内容だったのですか?

内藤:同封広告の集客は、当初リスティング広告で行っていました。つまり「同封広告」とか「会員誌」というワードで検索するとウチが出てくる。このやり方、初めは先進的だったのですが徐々に同業他社の参入が増えてきて、このままでは体力勝負になり、勝てなくなる可能性があるなと。そこで、ウチへの発注者となる広告マーケティング業界の人たちへ向けたオウンドメディアを作って運営すれば差別化になるのではないかと考えました。

オウンドメディアを作りたいという発想はそれ以前から持っていたことと、もう1つ自分がお客さんから頼まれた仕事がきっかけとなりました。依頼内容は「ネットリサーチを行いたいんだけど、どんなサービスがあるか調べてほしい」というもので、僕もマクロミルは知っていましたがそれ以外は知らなかったので検索したところ4~5社出てきた。そこで、ちょっと待てよ……もしかしたら自分のように困っている人がいるんじゃないか? 新しいマーケティングツールが出てくるたびに検索して1つ1つ調べるのは面倒なんじゃないか?と思い立ち、比較サイトを始めることにしたんです。当時、保険の比較サイトのようなB to Cのものはありましたが、B to Bのものはまだなかったんですよね。B to Bのマーケティングに特化した比較サイトというビジネス自体もいけそうだし、ここにマーケティング関係の人が集まれば同封広告の売り上げにもつながるはずだと思いました。

-どういう内容のサイトを作ったのですか?

内藤:マーケティングに関するあらゆるものです。全部で50個くらい立ち上げたんじゃないかな? マーケティング担当者が興味を持ちそうな「富裕層」「主婦」といったワードに関するものから、会員誌やサンプリング、展示会、屋外広告に関するもの、ツールでいうとネットリサーチやファクスDMなど、考えられるものはすべてやりました。

-なるほど。コンテンツがあるところに人は集まるということですね。

内藤:孫正義さんがYahoo! JAPANを始めたとき「これでネットの覇権を1つ取った。なぜならばネットの中の銀座4丁目を押さえたようなものだからだ」ということをおっしゃっていて。人通りが絶えない銀座4丁目ならば、どんな店を出しても儲かるだろう。Yahoo!という膨大なトラフィックを生むサイトは銀座4丁目のようなもので、そこで展開するサービスは話題になるに違いないと。面白い考え方だなと思いました。ならばマーケティング担当者のための銀座4丁目を作ればいいのではないかという発想です。

-その後はどのように展開されましたか?

内藤:比較サイトだけではなく2006年には「FINDSTAR NEWS」というニュースサイトも始めました。これは現在も続いています。

-同じ年に「ファインドスターメディアカタログ」というサービスも始めていますね。

内藤:これも現在続いているサービスです。例えば、不動産屋さんの情報に物件の住所が載っていたら、独占でない限り他の不動産屋さんに契約を取られてしまう可能性がありますよね。それと同じことがニッチメディアにもあるため、例えば「5万人の医師にリーチできるAという媒体があります、しかしAが何であるかは直接問い合わせてください」として、問い合わせがあれば直接営業に向かっていました。

もちろんライバルになり得る広告代理店からの問い合わせには応じていなかったのですが、よく考えてみたらこれはお金を出しても入手したい情報なのではないかと思ったのです。当時は、インターネットの情報はタダという認識が一般的でしたが、逆にこれは有料のビジネスになるのではないかと。そうして始めたのが「ファインドスターメディアカタログ」でした。

 

・・・「第三回 渡邊さんの入社からワンスターの創業前夜まで」へつづく。

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